ハマりかけています。

突然ですが、わたし、世阿弥にハマりかけています。

 

世阿弥。知ってますよね?

教科書で見たことあるわ~、くらいの人がほとんどだと推察しますが、私も同じです。

私も名前だけは知ってましたよ。観阿弥の息子で、能役者・能作家。

これだけですけど笑

 

で、なぜハマりかけているかというと、先日発売された『髙田明と読む世阿弥』(日経BP社)を読んだから。

 

私は常々「先人たちが何千年もかけて答えを残してくれてるんだから、それを知ってからがスタートでしょ」と言い続けていますが、今のを生きる私たちに必要なことを、世阿弥が残してくれている!と読みながら思いました。

 

たとえば、「時の間にも、男時・女時とてあるべし。いかにすれども、能にも、よき時あれば、かならず悪きことまたあるべし。これ、力なき因果なり。」(『風姿花伝』)

 

男時は何をやってもうまくいくとき。女時は逆に何をやってもうまくいかないとき。

男時は自分に勢いがあるとき、女時は相手に勢いがあるときともいえるかもしれませんね。

 

物事には何でも男時と女時があるのだから、女時の時にはその状況に文句を言ったり現実逃避をするのではなく、次の男時で飛躍できるように今できることをしなさい、ということですが、まさにその通りですね。

 

1989(日本では1996年)に出版され、全世界で2000万部を売上げたといわれる『7つの習慣』(フランクリン・R・コヴィー)の中にも、「影響の輪・関心の輪」という表現で、自分で変えられるものだけに集中しなさいと書いてあったのは覚えている方も多いと思いますが、似ていますよね。しかも世阿弥はコヴィーの600年も前から言っているのですね。もしかしたら、コヴィーも世阿弥を学んだのかも・・・?

 

他にも、有名な初心忘れるべからずも世阿弥の言葉だし、「時分の花・まことの花」というのも、今20~30代の私と同世代にはとても重要な教訓になると思います。

 

簡単にいうと、時分の花とは単に時期がいいから魅力的に輝いて見える状態。

まことの花というのは、生まれもった才能に加え、努力によって高められたもののこと。

世阿弥は、時分の花をまことの花と勘違いして慢心するなよ、と言っているわけです。

まさに伸び盛り、働き盛りの私たちへの言葉じゃないですか。

 

本当に大事なのは、まことの花をちゃんと咲かせること。小手先ではなく、本質的な人間的魅力を磨く事。一朝一夕にはできませんが、長く輝くためには必要なことですね。

この本の中で、高田さんも「テクニックは人間性を超えられない」と書いています。

我々の世代だからこそ、まことの花を磨く意識が大事だなと思います。

 

変化のスピードが速くなって、10年先どころか来年どうなるかもわからないような現代だからこそ、先人達からの積み重ねをしっかり自分の中に入れておく必要があるんじゃないでしょうか?

ただでさえ、過去に類のなかった問題に直面しなければならないのですから、過去に答えが出ていることでいちいち悩んでる暇はありませんよね。自分の人生を豊かに生きたいと思うのであれば。

 

最新の科学だって過去の積み重ねがなきゃ存在しえないのに、自分の人生に関しては歴史を無視して狭い視野の中だけで生きようとする神経が、正直わからない。

 

というわけで、私は人に愛されるべき自己を醸成し、それを正しく相手に伝えるという側面において、皆さんの豊かな人生をサポートしていきます。

 

ちなみに、先人達はすごいもので、先に出した各人の男時・女時がいつ来るのかまでも、統計で出してくれているんだから頭が下がります。

有名人から一般の方までいろんな方のデータを出しましたが、当たりすぎてビビるくらい。

うまく使った人は、ちゃんと結果もでている。

その時を準備して迎えられるというのは、ビジネスでもスポーツでも本当に役に立つんだなと実感しています。