皆さん、読書してますか?
いや、別に本読めとか言いたいわけじゃないんですけどね。
最近「なんですぐ別の方法を思いつくんですか?」とか「どうやってそんなにどんな会話にでも対応できる知識持ってるんですか?」と聞かれることが多いので、そのことについて私の考えを書いてみようかなと思います。
さて、突然ですが私、詰め込み教育賛成です。
ゆとり教育導入のために悪者扱いされたやつですね。
暗記中心の知識の詰め込み教育や過度な受験競争がいじめや不登校、非行につながるとして、無理のない環境で総合的な考える力を育成しようという理屈でゆとり教育が導入されたわけですが、「考える力を育成する」というのは良いですよね。
人類はせっかく立派な脳を持ってるんだから、ちゃんと使って、問題解決しようよという事です。
うんうん。言いたいことは分かりますよ。
ただし、大事なことが欠けている。
それは、考えるためには、考える材料が必要だという事。
どうもこの材料を揃えるというところを軽視している人が多いんじゃないかと思います。
そして、この材料を揃えるということがいわゆる詰め込みだと思うんですよね。
料理に例えると、知識を詰め込むという事は必要な具材や調味料を揃えることに相当します。
冷蔵庫や食糧庫にぎっしり詰まっているから、必要な時に必要な材料を取り出して調理ができるわけです。
「あ、カレー食べたい!」と思ったとしても、それにふさわしい材料が用意されていなければ作れません。
どんな名シェフでも、ジャガイモと塩しかない状態でカレーは作れないのです。
しかも、生きていれば、いつどんな情報が必要になるかは当然分からないので、常に準備しておく必要があるわけです。
そのためには、
・とにかくいろんなものにアンテナを張る事
・ジャンルを問わず本を読む事
・気になったものはすぐに調べる事
これを続けることが大事ではないかと思います。
もちろん興味のあるものに関してはすすんで情報収集すると思いますが、それだけだと使える知識って中々増えません。偏った知識だと、他のものと結びついて新しいものが生まれてこないんですよね。
特定の食材ばっかり集めて、1種類の料理しかできないみたいな感じです。
興味の有る無しであまり差をつけない方が、幅の広さとして後々活きてくるのではないでしょうか。
情報を収集する媒体は、“信頼できる” ものであれば何でもいいと思います。
ネットで見ようが、本で見ようが、誰かの話を聴こうが、それはなんでも構わないでしょう。
気を付けなければいけないのは、売れてる本でも正しいことを書いてあるとは限らないこと。
この前読んだ本は、中身に間違いがいっぱいありましたね。こんな本を書いた著者が “行列のできる家庭教師” だというのですから、教わった子たちは可哀そう。
自分の中に信頼できる情報が詰め込んであれば、こんな場合でもすぐに「あ、嘘だな」と判断がつくので、騙されることも減ります。
騙されたくない人は、良質な知識を蓄えていくことをお勧めします。
で、知識を詰め込んでからが考える力の本番です。
ではどうやって考える力をつけるか・・・はまた次回に(笑)